呉市安浦町の安浦漁港に防波堤として残存している、コンクリート製の旧日本海軍雑役船の"第一武智"と"第二武智"(たけち)です。
まずは"第一武智"、左が船首側、右が船尾側です。船尾に構造物があったそうですが、きれいさっぱりありません。
2018年3月11日撮影 (呉市安浦町)
こちらは"第二武智”、こちらは左側が船尾。"第一武智"とは船尾同士がくっついています。第一と同じく船体のみが残っています。
"水の守り神 武智丸"と看板が出ています。 防波堤のなかった安浦漁港に2隻が来たのは1950年だそうです。
2018年3月11日撮影 (呉市安浦町)
"第一武智"の船首から船尾に向けて。右手の通路は先端の灯台への通路のようです。
2018年3月11日撮影 (呉市安浦町)
ホールドは海水で満たされています。コンクリートも風化が進んでいます。目に見える金属類はすべて回収(???)され、鉄筋などのコンクリートに埋め込まれているモノだけが残っています。
写真のサイズが大きいので今回はこの辺で。。。
2018年3月11日撮影 (呉市安浦町)
昭和19年に第一から第三までが竣工しました。船体は兵庫県高砂市を流れる天川に沿って造られた武智造船所(のちに三井造船曽根)、艤装は三井造船玉野が担当しました。第四は艤装中に終戦となりました。
各種文献等では"武智丸"と表記されており、戦後大阪商船に払い下げられた第二は”第二武智丸”と船名録に掲載されていたようですが、ここでは海軍時代の"丸"のない”武智"に表記を統一しています。